Manabiには色々な意味が込められています。
日本語ではManabiは「学び」と表現することができます。色々な地域の文化や伝統を、実際に見て触って感じてもらいたい。日本全国にはさまざまなお祭りや伝統的な行事があります。実際に見て触って、そして感じてもらって日本全国さまざまな地域の文化や伝統を学んでいただける、そんな場にしたいと想いました。
Manabi-stayの「マ」は「仲間」の「間」や「空間」の「間」を表しています。友達や家族で集まり、日常から離れたリラックスした雰囲気の中で、心置きなく滞在を楽しんでいただいたり、忙しい日常から逃れ心と体を調えていただける「間」としてご利用いただけます。
Manabi-stayは、世界中の皆様に日本のさまざまな地域の歴史や文化を学び、そして心と身体を調えていただけるような場をご提供したいと考えています。
Manabi-stay
Manabi-stay Takayamaは飛騨高山の中心部に位置し、旧市街、朝市、高山駅などの主要な観光地から徒歩圏内という、大変便利な場所にございます。昭和初期に建てられた長屋を改装し、快適な環境で本格的な日本の地元のライフスタイルを楽しむことができるように設計されています。まるでご自宅にいるような感覚でご滞在をお楽しみいただけます。
日本アルプスの中心、岐阜県北部に位置する飛騨高山には、縄文時代(紀元前1万4,000年〜3,000年前)の遺跡が数多く遺されています。高山の近代化は戦国時代に織田信長の家臣を務めた金森長近が飛騨に入り、現在の城山公園の地に城を建てたころから始まりました。金森氏は飛騨高山の初代統治者となった金森は、城から四方八方に伸びる道路を建設し、高山の町を政府と経済の中心地として発展させました。現在の高山中心部の区画や道路は420年前とほぼ同じです。
金森氏による6世代の統治の後、飛騨は1692年から徳川幕府の直接統治下に置かれ、政治を司る陣屋が高山に置かれました。江戸幕府の直轄領は、明治政府が発足する1868年まで177年間続きました。
飛騨高山は、政府のインバウンド観光政策の下、海外からの観光客を呼び込むための取り組みを1986年にスタートしました。道路や案内の看板など全てに英語表記を加えるなどの取り組み進めることによって、現在では年間50万人近い外国人観光客を迎えています。
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